talking about a rice culture(米文化ってさ・・・)
2009年 10月 24日
店主でございます。
来訪者あり。一人は茶師。もう一人は先輩同業者。話題はいつのまにやら同じ方向に・・・それは食の文化のこと。
思うに、ワインの世界では香りや味、触感を言葉や文字に翻訳することで、ブドウ栽培からグラスに注がれるまで・・・その全体像を多くの人と共感できる文化的な世界感を作った。
コーヒーもまたワインが培ってきたことを見習い世界感を作ろうとしている。それを作ることによって、栽培から飲む人まで関わる人すべての意識が向上し、たんに美味しいだけでなく、地域の個性光る価値あるコーヒーを共感できる環境が生まれつつある。今、そういう文化的世界感の萌芽を感じている。
そして米である。
文化的世界感がないわけではないが、これまで関わる人(自分も含めて)の意識という点では、やや希薄だったような気がする。例えば、美味しいとは、どう美味しいのか?なぜそういう香り、味、触感が生まれたのか?そういうことについての論理的かつ美的な説明がなされていないような気がするからだ。
私ごとではあるけれど、ここ2年カミアカリドリーム勉強会をはじめてから多くの食と農のエキスパートの方たちと、ディスカッションしてきた。その過程で様々なことを学ばせてもらった。そしてその学びの先に何があるのか?またその出口が何なのかが、よく解らなぬままに、とにかく浴びるだけ浴びてきたつもりだ。
その学びはこれからも続くが、米による文化的な世界感への手がかりのようなものを少し感じつつある。それが米を玄米で食べることにあると予感している。玄米が持っている香り、味、触感、それらから感じる風味風合いが、ヒントになる。それくらい栽培からお茶碗に盛られるまでの全ての過程が、香り、味、触感において多様かつ複雑な世界観を作り出すからだ。
by ankome
| 2009-10-24 20:38
| カミアカリ